蕎麦屋のおばさんに感謝。伝えられるなら伝えたい。
今週のお題「感謝したいこと」
私は小さい頃から忍耐力がありません。
もちろん根性も。
小学生の頃からずっと
成績表にある先生のコメント欄には
必ずその忍耐力の事が、
明朗活発とのフォローと共に
書いてあったことを思い出します。
さらに
努力もあまりした事がなかったから、
勉強で悪い点数を取っても、
スポーツで負けても
そんなに悔しくもなかったし、
今度こそ!がないのです。
成長しない子供だったのです。
ここまで読んで
自分で改めて自分の人間性って…
反省の塊です。
そんな私が
20歳を超えても
バイトを転々としていた時に
出会った蕎麦屋のおばさんが
今思えば私の人生を
好転してくれたと思っています。
「感謝したいこと」
は沢山ありますが、
まず初めに思い出すのは
蕎麦屋のおばさんとの出会いです。
その時は分からないもので、
時給もいいし、
お昼の賄いは好きなだけ
美味しいお蕎麦を食べさせてくれる
バイト先でした。
最高です。
売り物の海老天や
お餅をトッピングして
大盛りにして食べていました。
美味しかったなぁ。。。
一緒に働く社員さんやバイト仲間、
そしておばさん、
おじさん(蕎麦打ち専門)。
みんないい人。
そんな職場なかなかないない。
蕎麦屋はとても繁盛していたので
ランチタイムともなれば、
目まぐるしく回転するお客さんを
さばくのに必死なのに、
みんなどこかユーモアのあるひと言を
言ってテンションを上げてくれたり、
害のない笑えるトラップが
仕掛けてあったり。。。
フォローもいっぱいしてもらいました。
本当に楽しかったのです。
数多くして来たバイトや
就職先にない魅力があって、
この私が1番長く続いたバイトでした。
就職しても長続きしない、
バイトをしても転々としていた私。
自分でも少し正統派でない事は
分かっていました。
劣等感、
後ろめたさもありました。
おばさんは、
何も聞かないし、
相談したわけでもないけど
私のそんなモヤモヤを
分かっていたのかもしれません。
時間があると気にかけてくれて、
おばさんの若い時の話、
その時に思っていた事を
いろいろ話をしてくれました。
話の内容はよく覚えていませんが、
私がおばさんの若い頃によく似てるらしく、
こんな時はこうするのよ!
とか(笑)
お節介と言えばお節介な事を
たくさん言われてた気はするけど、
全然嫌ではなかったのです。
先生や親ではない大人に
初めて認めてもらえたような、
安心感がありました。
思い返せばやはりあの頃から
少しずつ私は成長していった
のだと思います。
そして成長したせいなのか、
なりたい職業を見つけて勉強をし、
資格を取りました。
そして会社に入り
正社員として働き始めました。
すごい成長でしょ?
しかし、
蕎麦屋は辞めたくないので
掛け持ちで暫くは働いていました。
が、
そんな私におばさんは
体を気遣って
バイトを辞める事をすすめ、
私はお客さんとして
通うくらいとなっていました。
日々が過ぎて、
私も忙殺される毎日を過ごし、
なかなか蕎麦屋に通えなくなっていたある日、
バイト仲間からの連絡で
おばさんが入院している事を知りました。
私は病院へ行きました。
難病らしく、
結構大変な事になっていると聞いたので、
どんな顔してお見舞いに行けばいいのか
混乱しました。
信じたくない気持ちでいっぱいでした。
おばさんは、
私を見るなり
「(私)〜ちゃん!変わらないねぇ〜私はこんな事になっちゃったけどね!」
確かに少し痩せていました。
声は昔と変わらないように
明るく元気に出していたけど、
顔色も白くて。。。
でも、
病院のパジャマに
カーディガンを肩にかけ、
三つ編みにした長い黒髪を
左側に流してる姿が、
綺麗に思えました。
病人に綺麗は変かもしれないけど、
そう思いました。
おばさんに合わせて、
私も明るめに
「おばさんも変わりなくお綺麗です!後ろ姿なんて萬田久子かと思いましたよ!」
と言うと、
ケラケラと笑って
私が渡した花束でポーズをとっていました。
その後、
少ししておばさんが
亡くなったと聞きました。
家族葬で
お葬式には行けなかったけど、
お別れは言えなかったけど、
いつもおばさんを
思い出し感謝しています。
困った時は特に思い出します。。